井上家は江戸時代(元禄期)より洛中にて商いをし、名字帯刀も許されていました。
その一方、京観世五軒家である薗家の弟子家でありましたが、五代嘉助のとき子息が薗家の養子となり継ぎます。
明治維新後薗家が途絶えると、井上家がその芸系を継ぎ今に伝えています。
初代 嘉兵衛?(法名:釋歸白)
生年不詳ー享保11年(1726)5月5日没
京都市間之町通御池下ルに居住し
呉服を商うかたわら謡曲を薗家に師事
二代 嘉兵衛(法名:釋榮應)
延宝7年(1669)ー延享4年(1747)
三代 嘉助(法名:釋榮白)
正徳5年(1715)又は享保2年(1717)ー安永4年(1775)
この代にて薗家職分となり謡曲を教える
四代 嘉助 宗之(法名:釋白常)
生年不詳ー寛政7年(1795)
絵画も良くする
五代 嘉助 宗頼(法名:釋宗白)
明和6年(1769)ー文政4年(1821)
長男を師家薗家の養嗣子とし、薗家六代祐正を名宣る。
六代 嘉助 忠義(幼名:万之助)(法名:釋道白)
享和元年(1801)ー文久元年(1861)
岡家より養子として井上家に入る
七代 嘉助 宗胤(幼名:亀蔵)(隠居名:八郎左衛門)(法名:釋白英)
文政11年(1828)ー明治15年(1882)
この代にて観世流職分家となる
立方として能も勤める
八代 勝太郎(法名:釋勝白)
文久3年(1863)ー大正8年(1918)
幼少より眼病により失明に近き身となるも
観世御宗家より謡曲「皆伝」を賜る
近江白鬚神社より名前を頂きし故に改名せず
九代 嘉介 宗武(幼名:嘉一郎)(法名:釋希白)
明治31年(1898)ー昭和28年(1953)
大正14年 旧嘉祥閣舞台を建てる
十代 嘉介 宗正(幼名:嘉久)(法名:釋久白)
昭和2年(1927)ー平成25年(2013)
第二次世界大戦中強制疎開にて失った嘉祥閣を再建する
十一代 裕久
昭和30年(1955)ー
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